小針君は、高校時代の一つ後輩で、奇遇にも同じ時期に私はバリへ、小針君はジャカルタに移住することになったおかしなご縁があります。私はこのバリの田舎で、小針君はジャカルタの都会で全く180度違った生活をしています。レバランのお休みにバリ島で3週間の休日を過ごす小針君は、14年前に連れてきた一人息子キキちゃんを連れて、新しい若い奥様と3人で来ました。
偶然、休暇で帰っていた勇気と17歳になったキキちゃんは意気投合し、勇気にいつもくっついて休みを我が家で過ごしているハトコのボンユウがさらに楽しさを追加して、3人は素敵な時間を過ごしました。この日は勇気が出発する前日でしたが、キキ君とボンユウは丘の宿に泊まる事になり、夜までティルタガンガで泳いだり、我が家で夕食を食べてチェスをして大笑いしたり・・・楽しく過ごしました。
勇気はヒンドゥで、どうしても牛(シワ神の乗り物がナンディという誠実な牛)のお肉を食べたがりませんが、キキちゃんは絶対に豚肉を食べてはいけないイスラムです。でも、小針君と離婚したお母さんと警察官のおじいちゃん、おばあちゃんに育てられて、驚くほど賢い、規律正しい若者に成長していて、なんだか嬉しかったです。丘のレストランで、ジャヌールに料理を注文して、アメドのお返しにランチ会をしました。
メニューは、アヤム・トトゥ(地鶏丸ごとをパーム椰子の花の皮でスパイスと包み4^5時間蒸し焼きにしたとろけるようなご馳走。)
グラミー(川魚)のペサン(バナナの葉っぱに包んでスパイスで焼き上げた料理)と炭火焼サンバルマタ。ロングビーンズのココナツミルクカレーソース、ウラブ(ココナツときゅうりや豆をスパイスで合えたもの)、鶏肉のサテ・リリット。
料理の写真を撮り忘れて食べてしまいました・・・・・。たまたま、青木さんも来ていて、ご一緒に。
この3人は食べた食べた。一番小さい10歳のボンユウは大きなお兄ちゃんたちに負けていません。
次の日は早朝3時半に私はまずおにぎりと日本風の出し巻き卵を作って、シノのご飯も用意し、シャワーを浴びてから、4時半にみんなを起こし、5時には真っ暗な中を車で出発。空港近くのマクドナルドでもう一度朝食を取ってから・・・8時にはチェックイン。
前日、キキちゃんとボンユウに付き添われて村の市場の横にある床屋さんでアーミーカットに散髪した息子、3ヶ月のビマでの研修と2週間の休暇で今までで一番太りました。背もまた伸びて、でっかくなったこと!寮に戻ったら、筋トレ頑張ってね。
そして、大学が決まって、まだ入学手続きや初めての下宿生活の準備にそわそわしている娘。
今週から入学手続きでデンパサールを行ったり来たり・・・またちょっと忙しくなりそうです。
次のお休みまで、みんな頑張ろう!
息子を送って家に着いたら、メ・プトゥの訃報。メ・プトゥ・ペンゴ(お馬鹿のプトゥおばさん)と呼ばれるメ・プトゥは、はるか昔は美人で商売でも成功したお金持ちで土地持ちのお嬢様。でも、一人娘のために、言い寄る村の男達を断り続けて独身でいるうちに両親が亡くなり、あくどい親族の夫婦に家をのっとられてしまって、争いになり、ショックで気がふれてしまってからというもの、さ迷い歩くメ・プトゥ・ペンゴという妖怪みたいな存在になっていました。
でも、私のことを忘れることはなく、私がここにお嫁に来た時から、道で会うとニコニコ近寄ってきて、「道代、1000ルピアおくれ。バルサムを買うから。」と言います。あげると、手に持っている様々な意味不明の品物を私に手渡して、マンおばあさんにあげてくれ、とすでになくなって久しい優しかった主人のおばあちゃんのことを言うのです。
ある日、バクソー(肉団子のスープ)の屋台の前にいて順番を待っていたら、メ・プトゥがやってきて、買ってくれという。
子供たちの分と一緒に追加して買ってあげたら、それを返して、「子供達にあげてくれ」というのです。
私の子供達にあげてくれと返すメ・プトゥをみていたら、その昔若かりし日に商売で成功して沢山の子供達にいつも何かを買ってあげていたという人々の話を思い出しました。
ちょっと落ち込んだ日に、このメ・プトウにあって満面の変わらぬ笑みを見ると、なんだか私の小さな気分のかげりが吹き飛んでしまったということが沢山あります。一番記憶に残っているのは、メ・プトゥがある日、1000ルピア(10円ほど)ではなくて、「道代、10ジュータ(10万円ほど)くれ。」といった時。目をまん丸にしてから、つい、今は持っていないけど、お金持ちになったらあげる、と言って5000ルピアほどあげたことを思い出します。他にも、色々な思い出が残っていて、私にとってはとても忘れがたい妖精の一人です。
村の女性達は嫌って避ける人や、からかう子供や、いたずらをするといって石を投げる店もあるのですが、大抵は優しく、食べ物を分けたり髪の毛を切ってあげたり(勇気が軍隊カットにした村の床屋さんです。)メ・プトゥは愛されていたと思います。
1ヶ月ほど、足がはれて歩けなくなり、もともとの家に戻されて、そこで亡くなったそうです。
食べられなくなったのは5日間ぐらいであったそうです。年齢は70歳を少し超えているはずですが、痩せてすらっとしていて、とても若く見えました。
お別れの火葬場には、親族や村の人々が集まって、メ・プトゥの存在の証のようにちょっとユーモラスでちょっと悲しい、透明な時間を過ごしました。
マデスチの末っ子、ヨガも来ていました。
私のママ友です。息子達が同じ世代で、昔は美人でしたがみんな同じようにおばさんになりましたね。仲良くもうすぐおばあさんになる準備ですよ。
メ・プトゥの魂は、まず透明な体の入れ物だけが灰になって、小川に解き放たれ、海で大きな世界に戻って自由になります。
この世界の苦しみから解き放たれ、愛の光の中で今度はどんな人生を生きるように生まれてくるのか・・・・みんなが感謝と愛を込めて、素晴らしい場所へ行き着くようにとお送りしました。
そしてここで、メ・プトゥがくれた素敵な再会。
この私の両側のの若者は、実は私の22年来の親友です。いつもはみんな遠くで仕事をして、会えないのですが、会ったらもう幼馴染のように思い出話が尽きない。
私がここに来て、お嫁入りまでの間、この二人は妖精の王子様のように私にヒンドゥの祈りの方法やマナーや村のことを全部教えてくれました。22年前は12歳。小学校5年生だった二人も、もう立派なお父さん。34歳の大人に成長しました。
この写真、同じ並び方をしている。ええ~~~~と驚くほど、私が若いですが、これは苦労を知らない結婚前の写真。ちょうど32歳になったばかりですが、エルフのお姫様と妖精王子達みたい????上はもうすぐおばあちゃんにもなる年齢ですから・・・仕方ないけど体重は10キロ増えたわね。..... 南国の太陽が恐ろしい事に気が付いたのが最近で、この頃は帽子もかぶらず出歩いていたせいでもあります。
主人は同じ年ですが、なんだかすごい速さでおじいさんになってしまいました・・・・。私みたいなお嫁さんで、面白いことも多いけど、苦労も多いしね。
結婚前で丘の上の家に一人で住んでいた私に、こんな妖精達が毎日やってきて、釣った魚を見せてくれたり、ジュワットの実を山ほど取ってくれたり、お供え物の作り方を教えてくれて、一緒に毎日丘の上をお祈りして回ったり・・・・
田んぼの中の小川で魚釣りもしたし、ティルタガンガの聖地で瞑想までしましたし、そのうち私が買ったはじめての車でウジュンの宮殿にも釣りに行った小さな親友達・・・・。もうみんな立派なお母さんやお父さんになって、故郷を懐かしく思っている年頃です。
さて、明日からようやくお人形制作も始める予定です。ミンプちゃん、無事にお届けできて、心がフワフワ舞い上がってしまうような、優しい、お心のこもったメッセージも頂き、本当に幸せ一杯です。これからもまた愛を一杯こめて、丘の妖精達、子供達、私の親友たちの姿をお人形にして行こうと思います。忙しい田舎の主婦で、ブログ更新もままならぬことがありますが、どうぞまたお時間のあるときに遊びに来て下さい。